相続の開始から3年10か月 自己株式の取得の特例
税理士から「相続した自社株式を会社に売却するのであれば、期限がありますからお早めに」と言われました。相続税の申告は済んでおりますが、会社との交渉は進んでおりません。この期限とは何を指すのでしょうか。このようなご相談を、当事務所はしばしばお受けしております。
先に結論を申し上げます。相続又は遺贈により取得した非上場株式を、その発行会社に譲渡する場合について、相続税法及び租税特別措置法には、相続の開始があった日の翌日から相続税の申告書の提出期限の翌日以後3年を経過する日までの間の譲渡を対象とする特例が設けられております。この期間が、いわゆる「3年10か月」でございます。特例の内容、要件及び適用の可否につきましては、税理士にご確認ください。当事務所は税務の申告及び相談を行っておりません。法律事務所の立場から申し上げるべきは、この期間内に会社への譲渡を現実に完了させるためには、会社法上の手続に相当の期間を要するため、逆算した工程の管理が不可欠であるという点でございます。本記事では、その工程を整理いたします。
第1節 3年10か月という期間
1 期間の考え方
相続税の申告は、相続の開始があったことを知った日の翌日から10か月以内にしなければならないものとされております(相続税法第27条第1項)。この申告書の提出期限の翌日以後3年を経過する日までが、特例の対象となる期間でございます。相続の開始からおおむね3年10か月に当たります。
2 余裕があるように見えて余裕がございません
3年10か月と申しますと長いように思われますが、実際には次のような事情により、期間が費やされます。
- 遺産分割の協議が調わず、株式の帰属が確定しない
- 会社が名義書換に応じず、株主として扱われない
- 会社が計算書類等を開示せず、価格の検討ができない
- 会社が買取りに応じず、法的な手続に移行する必要が生じる
- 売買価格の決定の手続に相当の期間を要する
特に、遺産分割の調停及び審判、並びに売買価格の決定の手続は、いずれも年単位の期間を要することがございます。
3 期間の徒過を避けるための考え方
期間の末日に近づいてから会社に申し入れても、手続が間に合いません。相続の開始の直後から、名義書換、資料の入手、価格の検討を並行して進め、遅くとも早い段階で会社との協議に入る必要がございます。
第2節 会社への譲渡を実現するための工程
| 段階 | 内容 | 要する期間の目安 |
|---|---|---|
| 第1 | 相続人の範囲及び遺産の把握、登記事項証明書の取得 | 数週間 |
| 第2 | 名義書換の請求(遺産分割が未了であれば権利行使者の指定) | 数週間から数か月 |
| 第3 | 定款及び計算書類等の閲覧謄本交付の請求 | 数週間から数か月 |
| 第4 | 価格の見通しの検討 | 数週間 |
| 第5 | 会社に対する書面による申入れ及び協議 | 数か月 |
| 第6 | 株主総会の招集及び決議(会社法第156条、第160条) | 数週間から数か月 |
| 第7 | 売買契約の締結、名義の処理、代金の支払 | 数週間 |
これらは目安でございまして、会社の対応及び相続人の間の関係により大きく変動いたします。
第3節 会社法上の手続
1 株主総会の特別決議
会社が特定の株主から自己株式を取得するには、株主総会の決議により、取得する株式の数、対価の内容及び総額、取得することができる期間を定めた上、当該特定の株主を定めることになります(会社法第156条第1項、第160条第1項)。この決議は特別決議によるものとされております(会社法第309条第2項)。
すなわち、代表取締役の了解のみでは足りず、株主総会を招集し、決議を経る必要がございます。定時株主総会の時期に合わせるという運用が採られることも多く、その場合には最大で1年近い待機が生じ得ます。
2 取得することができる期間
株主総会の決議において定める「株式を取得することができる期間」は、1年を超えることができないものとされております(会社法第156条第1項第3号)。決議をしても、その期間内に取得が実行されなければ、あらためて決議を要することになります。
3 分配可能額
自己株式の取得により交付する金銭等の帳簿価額の総額は、分配可能額を超えてはならないものとされております(会社法第461条第1項)。分配可能額が不足している場合には、資本金の額の減少(会社法第447条第1項)又は準備金の額の減少(会社法第448条第1項)を検討することになりますが、債権者の異議の手続を要し(会社法第449条)、1か月以上の期間がかかります。
第4節 相続人等からの取得の特例(会社法第162条)
会社は、特定の株主からの取得を株主総会の目的とする場合には、他の株主に対し、自己をも売主に加えたものを議案とすることを請求することができる旨を通知しなければならないものとされております(会社法第160条第2項及び第3項)。
もっとも、公開会社でない会社が、相続その他の一般承継により当該会社の株式を取得した者からその株式を取得する場合において、当該株主が株主総会において当該株式について議決権を行使していないとき等の要件を満たすときは、これらの規定を適用しないものとされております(会社法第162条)。
この特例が適用される場合には、他の株主が名乗り出ることによる会社の負担が生じませんので、会社が買取りに応じやすくなります。他方、「当該株主が株主総会において当該株式について議決権を行使していないこと」という要件がございますので、相続人が株主総会において議決権を行使した場合には、適用が受けられなくなるおそれがございます。この点は、会社との交渉の順序を設計する上で重要でございます。
第5節 会社が動かない場合
会社は、株主から買取りを求められても、これに応じる義務を負うものではございません。協議が進まない場合には、譲渡制限株式について株式譲渡承認請求を行い、会社が承認をしない場合には会社又は指定買取人が買い取ることを請求する旨を明らかにすることを検討いたします(会社法第136条、第138条第1号ハ、第140条)。
ただし、この経路により買い取るのが会社ではなく指定買取人である場合には、譲渡の相手方が発行会社ではないことになります。税務上の特例の適用の可否は、譲渡の相手方が誰であるかにより異なり得ますので、この点は必ず税理士にご確認ください。
第6節 遺産分割が未了である場合
遺産分割が終わるまでの間、株式は相続人の準共有に属します。共有者は、当該株式についての権利を行使する者1人を定め、会社に対しその者の氏名又は名称を通知しなければ、当該株式についての権利を行使することができません(会社法第106条本文)。
遺産分割の調停及び審判には相応の期間を要します。3年10か月の期間を意識するのであれば、遺産のうち株式についてのみ先行して分割の合意をすることを検討する余地がございます。一部分割の可否及び相当性は事案により異なりますが、期間の制約がある場合には検討に値いたします。
第7節 期間内に譲渡を完了させるために整えておくべき書面
期間の内に譲渡を行ったことは、後に資料により示すことができるようにしておく必要がございます。口頭の合意のみで進めますと、いつ、いかなる内容で譲渡がされたのかが不明確となり、後日の説明に支障を生じます。次の書面を、その都度整えてまいります。
| 書面 | 作成者又は差出人 | 確認しておく事項 |
|---|---|---|
| 買取りの申入書 | 株主 | 差し出した年月日が明らかとなる方法によります。株式の数、希望する時期、回答の期限を記載いたします |
| 会社からの回答書 | 会社 | 応否、価格、時期に関する会社の意思が記載されているかを確認いたします |
| 株主総会の招集の通知 | 会社 | 議案として自己株式の取得が掲げられているかを確認いたします |
| 株主総会の議事録 | 会社 | 取得する株式の数、対価の内容及び総額、取得することができる期間並びに特定の株主として自らが定められていることを確認いたします(会社法第156条第1項、第160条第1項) |
| 取得の条件に関する通知 | 会社 | 交付される金銭等の内容及び数を確認いたします(会社法第158条第1項) |
| 譲渡しの申込みの書面 | 株主 | 申込みをした年月日を明らかにいたします(会社法第159条第1項) |
| 代金の受領に関する記録 | 株主 | 入金の年月日及び金額を、預金口座の記録により残します |
| 株主名簿記載事項を記載した書面 | 会社 | 株式の数が減少していることを確認いたします |
これらの書面は、税務上の取扱いを検討される税理士にとっても必要となるものでございます。作成の都度、写しをお手元に保管していただくようお願いいたします。
第8節 工程が滞る典型的な原因と、その解消の手順
3年10か月という期間は、一見いたしますと余裕があるように思われます。しかしながら、実際には次の事情により工程が滞り、気付いたときには期間の末が近づいているという事態がしばしば生じます。原因ごとに、解消のための手順を整理いたします。
1 株主としての地位が確定していない場合
株主名簿の名義が被相続人のままでございますと、会社は「株主として扱えない」と述べることがございます。相続その他の一般承継により株式を取得した者は、単独で株主名簿記載事項の記載又は記録を請求することができるものとされております(会社法第133条第2項)。まず書面により名義書換を請求し、これを確保いたします。応じない場合には、株主であることの確認を求める法的手続を検討いたします。この手続には相応の期間を要しますので、早期の着手が必要でございます。
2 会社の意思決定の機関が動かない場合
自己株式の取得には株主総会の決議を要しますところ(会社法第156条第1項、第309条第2項)、会社が総会を開かなければ手続が進みません。定時株主総会の時期を待つほかないと考えられがちでございますが、株主の側から臨時株主総会の招集を請求する方法がございます(会社法第297条第1項)。公開会社でない会社におきましては、6か月前から引き続き株式を有することの要件は課されないものとされております(同条第2項)。相続により株式を取得した直後であっても請求し得る余地がございます。
3 価格の協議が調わない場合
会社が提示する価格と株主の考える価格とが大きく隔たり、協議が長期化することがございます。自己株式の取得は当事者の合意によるものでございますので、合意が成立しない限り実現いたしません。この場合には、株式譲渡承認請求の経路に移行し、売買価格の決定の申立てにより価格を定める道を検討することになります(会社法第136条、第138条第1号ハ、第144条第2項)。ただし、譲渡の相手方が会社以外の者となりますと、当初想定していた税務上の取扱いと前提が異なることとなりますので、この点は税理士にご確認ください。
4 遺産分割の協議が調わない場合
株式が相続人の準共有に属したままでございますと、権利を行使する者を定めて会社に通知しなければ権利を行使することができません(会社法第106条本文)。株式の帰属のみを先に定めることについて他の相続人の同意が得られる場合には、一部分割により先に確定させることも考えられます。協議が調わない場合には、家庭裁判所の手続によることになりますが、期間を要しますので、並行して権利行使者の指定を進めます。
第9節 弁護士にご相談いただく意味
この局面において結論を左右するのは、逆算した工程の管理でございます。3年10か月という期間は、会社が協力的であれば十分でございますが、会社が資料を開示せず、決議も行わないという場合には、たちまち不足いたします。したがって、会社の対応が芳しくないと判断した時点で、法的な経路への移行を検討する必要がございます。
また、会社法第162条の特例には「議決権を行使していないこと」という要件がございますので、株主総会への出席及び議決権の行使をどのように扱うかを、あらかじめ設計しておく必要がございます。何気なく議決権を行使したために、会社が買取りに消極的となるという事態は避けなければなりません。
なお、税務上の特例の内容、要件及び適用の可否につきましては、税理士にご確認ください。当事務所は税務の申告及び相談を行っておりません。法律事務所としては、税理士と連携し、期間内に譲渡を完了させるための法律上の手続を担当いたします。
よくあるご質問
質問1 3年10か月を過ぎたら会社に売れなくなるのですか。
会社法上、期間の経過により譲渡ができなくなるものではございません。税務上の特例の対象となる期間でございます。特例の内容及び適用の可否につきましては、税理士にご確認ください。
質問2 いつから動くべきですか。
相続の開始の直後でございます。名義書換、定款及び計算書類等の請求は、遺産分割の完了を待たずに着手し得る場合がございます。
質問3 株主総会に出席しない方がよいのですか。
会社法第162条の特例には、当該株主が株主総会において当該株式について議決権を行使していないこと等の要件がございます。もっとも、議決権を行使しないことによる不利益も生じ得ますので、事案に応じた判断が必要でございます。
質問4 会社が「来年の定時株主総会で決議する」と言っています。
自己株式の取得の決議は、臨時株主総会によることも可能でございます。期間の制約がある旨を書面により明らかにし、早期の決議を求めることが考えられます。
本記事の根拠条文
会社法
- 第106条(共有者による権利の行使)
- 第136条・第138条第1号(譲渡等の承認の請求)
- 第140条(会社又は指定買取人による買取り)
- 第156条第1項(自己株式の取得に関する事項の決定及び取得することができる期間)
- 第160条第1項から第3項まで(特定の株主からの取得及び売主追加請求権)
- 第162条(相続人等からの取得の特例)
- 第309条第2項(株主総会の特別決議)
- 第447条第1項・第448条第1項・第449条(資本金及び準備金の額の減少)
- 第461条第1項(分配可能額による制限)
相続税法 第27条第1項(相続税の申告書の提出期限)
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