相続財産の使い込みを防ぐための生前の備えと相続開始後における証拠の保全

父の財産を、同居している兄が一人で管理しております。将来、相続が開始したときに、預貯金が減っていることが分かっても、もはや調べようがないのではないか。あるいは、既に相続が開始しており、預貯金の残高が思っていたよりも少ないが、何から調べればよいか分からない。このようなご相談を、当事務所はしばしばお受けしております。
先に結論を申し上げます。いわゆる使い込みの事案におきまして、返還を実現することができるかどうかは、法律構成の巧拙よりも、資料が揃っているかどうかによって決まる場合が多うございます。そして、資料は時の経過とともに失われてまいります。金融機関の取引の履歴には保存の期間がございますし、医療及び介護の記録にも保存の期間がございます。したがいまして、生前の段階で財産の管理を透明にしておくこと、及び相続が開始した後に速やかに資料を確保することが、決定的に重要でございます。本記事では、この2つの局面に分けて、具体的に何をしておくべきかを整理いたします。なお、請求権の法律構成及び期間の制限につきましては、別の記事において扱っております。
第1節 使い込みが生じやすい状況
財産の管理が一人に集中している場合
被相続人の預貯金の通帳、印鑑及びキャッシュカードを、同居している親族が一人で保管している場合には、他の相続人がその出入りを把握する手段がございません。被相続人が高齢となり、自ら金融機関に赴くことが困難となりますと、管理者が代わって出金をする状態が常態化いたします。この段階では、被相続人のための出金と管理者自身のための出金とが、外形上まったく区別されません。
判断の能力が低下している場合
被相続人の判断の能力が低下いたしますと、自らの財産の状況を把握し、管理者の行為を監督することができなくなります。この状態が長期にわたりますと、出金の総額が大きくなり、後に問題が顕在化したときの回復が困難となります。
相続人の間の交流が乏しい場合
相続人の間で日常の交流がございませんと、被相続人の生活の実態、必要としていた費用の額、財産の状況について、誰も比較の対象となる情報を持っておりません。その結果、後に説明を求めましても、これを検証する手立てがないという状態に陥ります。
相続が開始した直後の期間
被相続人が亡くなったことを金融機関が把握するまでの間は、口座が凍結されておりませんので、キャッシュカードを保管している者が払戻しを受けることが可能でございます。葬儀の費用に充てるという名目で払戻しがされ、その額及び使途が明らかにされないという事案は少なくございません。
第2節 生前の備え 財産の管理を透明にする方法
管理を担う者と監督する者とを分ける
財産の管理を一人に委ねる場合であっても、その者以外の親族が定期的に状況の報告を受ける仕組みを設けておくことが有益でございます。年に1回、通帳の写し及び主要な支出の一覧を親族の間で共有するというだけでも、後に説明を求める際の基礎となります。
被相続人名義の口座を生活費の支払に用いる
被相続人の生活費、医療費及び介護に要する費用は、被相続人名義の口座からの振替又は振込によって支払うようにしておきますと、使途が記録に残ります。現金を引き出して支払う方式は、記録が残りませんので、後の争いを招きやすうございます。
領収書及び出納の記録を残す
やむを得ず現金による支払を要する場合には、領収書を保存し、簡単な出納の記録を作成しておくことが望ましゅうございます。管理を担う者にとりましても、後に説明を求められた際に自らを守る資料となります。
贈与を受ける場合には書面を作成する
被相続人から親族が贈与を受ける場合には、贈与契約書を作成し、被相続人の署名を得ておくべきでございます。書面のない贈与は、後に被相続人の意思に基づくものであったことを立証することが困難でございます。なお、贈与に関する税務上の取扱いにつきましては税理士にご確認ください。
第3節 生前の備え 判断の能力が低下した場合に備える制度
財産管理等の委任契約
判断の能力に問題はないものの、身体の状況により自ら金融機関に赴くことが困難であるという段階におきましては、財産の管理に関する委任契約を締結し、受任者の権限の範囲及び報告の義務を書面によって明確にしておく方法がございます。権限の範囲が書面によって定まっておりますので、これを超える行為があった場合には、その旨を指摘することができます。
任意後見契約
任意後見契約に関する法律に基づく任意後見契約は、判断の能力が不十分となった場合に備えて、あらかじめ受任者及びその権限を定めておく制度でございます。契約は公正証書によってしなければならないものとされております。判断の能力が不十分となった後、家庭裁判所が任意後見監督人を選任することによって効力を生じ、受任者の行為は任意後見監督人の監督に服します。
法定後見の制度
既に判断の能力が不十分となっている場合には、家庭裁判所に対し、後見開始、保佐開始又は補助開始の審判を申し立てることが考えられます。成年後見人等は、家庭裁判所に対して定期的に報告をする義務を負いますので、財産の状況が第三者の確認を受けることとなります。既に一部の親族による財産の管理に疑いがある場合には、この制度の利用が、それ以上の流出を防ぐ実効的な方法となる場合がございます。
信託の活用
信託法に基づく信託を用いて、財産の管理及び承継の枠組みをあらかじめ定めておく方法もございます。受託者の権限、受益者、信託の終了の事由などを契約によって定めますので、財産の管理の在り方を具体的に設計することができます。もっとも、税務上の取扱いを含めて検討すべき事項が多うございますので、導入に際しては十分な検討を要します。
第4節 生前の備え 遺言及び記録の整備
遺言を作成しておく意味
遺言によって財産の帰属を定めておきますと、相続が開始した後の分配をめぐる対立が生じにくくなります。対立が生じにくければ、過去の出金をめぐる争いも生じにくうございます。相続人の間に既に緊張がある事案におきましては、公正証書遺言によることをお勧めしております。
財産の目録を作成しておく
不動産、預貯金、有価証券、生命保険、貸金庫の有無などを一覧にした財産の目録を作成し、更新しておきますと、相続が開始した後に、何が失われているかを直ちに把握することができます。目録の存在自体が、管理を担う者に対する抑止としても機能いたします。
判断の能力に関する資料を残しておく
被相続人が意思表示をした当時の判断の能力は、後にしばしば争点となります。定期的に医師の診察を受け、その記録が残るようにしておくことが、贈与又は遺言の効力を維持する上でも、また逆に無断の出金を明らかにする上でも、資料となります。
第5節 相続が開始した後の初動
最初に行うべきこと
相続が開始いたしましたら、まず、被相続人名義の口座を有する金融機関に対し、相続が開始した旨を届け出ます。届出によって口座が凍結されますので、それ以上の払戻しを防ぐことができます。キャッシュカードが第三者の手元にある場合には、この届出が急がれます。
資料には保存の期間がございます
金融機関における取引の履歴、医療機関における診療録、介護に関する記録には、いずれも保存の期間が定められております。期間を経過いたしますと、廃棄されて復元することができません。したがいまして、疑いを抱いた段階で、直ちに開示を求めることが必要でございます。この点が、相続の事案において最も対応が遅れやすく、かつ回復が不可能となりやすい部分でございます。
相手方に察知される前に資料を確保する
相手方に対して先に説明を求めますと、資料が処分され、又は口裏を合わせられるおそれがございます。可能な限り、客観的な資料を確保した後に、相手方との交渉に入るのが穏当でございます。
第6節 証拠の保全 金融機関に対する開示の請求
相続人による取引の経過の開示の請求
共同相続人の一人は、被相続人の預金債権に関する取引の経過の開示を金融機関に対して求めることができるものと解されております。他の相続人の同意を要しません。相続人であることを証する戸籍謄本等を添えて請求いたします。
求めるべき範囲
取引の履歴は、可能な限り長期の範囲について求めます。被相続人の判断の能力が低下し始めた時期、又は財産の管理が相手方に移った時期を目安といたしますが、時期が判然としない場合には、金融機関が保存している限りの全期間について求めることが穏当でございます。
窓口における出金の伝票
取引の履歴によって窓口における出金であることが判明した場合には、当該出金に係る払戻請求書等の伝票の開示を求めることが考えられます。伝票の筆跡によって、誰が出金をしたかを推認することができる場合がございます。
貸金庫及び他の金融機関
被相続人が貸金庫を利用していた場合には、その開扉の記録の開示を求めます。また、通帳が発見されていない金融機関につきましても、被相続人の住所地及び勤務先の近隣の金融機関に対し、口座の有無の照会を行うことが考えられます。
第7節 証拠の保全 被相続人の状況に関する資料
医療に関する記録
被相続人が受診していた医療機関に対し、診療録の開示を求めます。入院していた期間、身体の状況、認知の機能に関する評価の結果は、当該期間における出金が被相続人自身によるものであり得たかどうかを判断する上で重要でございます。
介護に関する記録
要介護認定に係る資料、主治医の意見書、認定調査票、居宅サービス計画、事業者の作成した業務日誌等は、被相続人の日常の生活の実態を最も具体的に示す資料でございます。市町村及び事業者に対して開示を求めます。
施設に関する記録
被相続人が施設に入所していた場合には、入所の期間、外出の記録、面会の記録の開示を求めます。施設に入所していた期間中に、被相続人が金融機関の窓口に赴いて出金をすることは、通常は考えにくうございます。
生活の実態と支出の相当性
相手方が、出金された金銭は被相続人のために費消したと主張することが予想されます。これに対しては、被相続人の生活の実態に照らして、その額が相当であったかを検討することとなります。施設の利用料、医療費、公共料金等の実際の支出の額を積み上げ、出金の総額と対比する作業を行います。
第8節 証拠の保全 不動産、保険及び有価証券
不動産
被相続人が所有していた不動産につきまして、登記事項証明書を取得し、生前に所有権の移転がされていないかを確認いたします。移転がされている場合には、登記原因を確認し、必要に応じて登記の申請に用いられた書類の閲覧を検討いたします。なお、不動産の相続の詳細な取扱いにつきましては、当法人の不動産に関するウェブサイトにおいて扱っております。
生命保険
生命保険につきましては、契約者、被保険者及び受取人の変更がされていないかを確認いたします。生命保険契約に関する権利は、契約の内容によって相続財産に含まれるかどうかが異なりますので、契約の内容を確認することが必要でございます。
有価証券
証券会社に対し、取引の残高報告書及び取引の履歴の開示を求めます。生前に売却がされ、その代金の行方が判然としないという事案がございます。非上場の株式につきましては、発行会社の株主名簿の記載を確認いたします。
第9節 相手方との接触及び手続の活用
書面によって説明を求める
資料が整いましたら、相手方に対し、書面によって、出金の事実を特定したうえで、その使途の説明を求めます。口頭による問合せは、記録が残らず、また感情的な対立を招きやすうございますので、書面によることをお勧めしております。
弁護士法に基づく照会
弁護士は、受任している事件について、所属する弁護士会を通じて、公務所又は公私の団体に対し、必要な事項の報告を求めることができます(弁護士法第23条の2)。相続人自身では取得することが困難な資料につきまして、この制度の利用を検討いたします。
裁判所の手続の活用
訴えを提起した後におきましては、調査の嘱託、文書の送付の嘱託、文書提出命令といった手続によって、資料の提出を求めることができます。また、証拠が滅失するおそれがある場合には、あらかじめ証拠調べをする証拠保全の手続がございます。相手方の手元にある資料につきましては、これらの手続の利用を検討いたします。
遺産分割の調停における事実の調査
遺産分割の調停におきましても、家庭裁判所による事実の調査がされる場合がございます。もっとも、被相続人の生前にされた出金は、原則として遺産分割の対象ではございませんので、相続人の全員の合意がない限り、調停の中で解決を図ることはできません。この点は、あらかじめ見込んでおく必要がございます。
第10節 弁護士にご相談いただく意味
本記事において申し上げた作業は、その多くが、時期を失すれば取り返しがつかない性質のものでございます。金融機関の取引の履歴、医療及び介護の記録は、保存の期間を経過すれば廃棄されます。相手方に察知された後では、資料が失われることもございます。したがいまして、疑いを抱いた段階で、速やかに何をどの範囲で確保すべきかを判断することが、その後の帰趨を左右いたします。
また、どの範囲の資料を求めるべきかは、想定される主張及び反論の枠組みによって定まります。相手方が贈与であったと主張することが予想されるのであれば、被相続人の判断の能力に関する資料が中心となりますし、被相続人のために費消したと主張することが予想されるのであれば、生活の実態及び支出の額に関する資料が中心となります。当事務所は、こうした見通しを立てたうえで、資料の収集から請求、交渉、遺産分割の調停及び民事訴訟までを一貫してお引き受けしております。
第11節 財産の管理を担っていた側の立場から
説明することができる状態を保つことが自らを守ります
本記事は、主として、財産の管理から遠い立場にあった相続人の視点から記述しております。もっとも、実際にご相談をお受けいたしますと、被相続人と同居し、その介護及び財産の管理を長年にわたって担ってこられた方が、他の相続人から使い込みを疑われ、困惑しておられるという事案も、同様に多うございます。
この場合において最も重要なことは、出金の使途を説明することができる状態を保っておくことでございます。被相続人のために支出した費用であれば、領収書及び出納の記録によってこれを示すことができます。逆に、記録がまったく残っていない場合には、実際には被相続人のために費消していたとしても、これを立証することが困難となり、結果として返還を命じられることがございます。記録を残す作業は、管理を担う方を疑いから守るためのものでもございます。
寄与分及び特別の寄与
被相続人の療養看護その他の方法によって被相続人の財産の維持又は増加について特別の寄与をした共同相続人があるときは、遺産分割においてその寄与の程度が考慮されます(民法第904条の2第1項)。また、平成30年の民法の改正によりまして、相続人ではない親族が被相続人の療養看護等をした場合につきましても、相続人に対して特別寄与料の支払を請求することができる制度が設けられました(民法第1050条第1項)。介護を担ってこられた方の負担は、これらの制度によって評価される場合がございます。
感情的な対立を法律上の争点に整理いたします
使い込みをめぐる争いは、その根底に、介護の負担の偏り、生前の被相続人との関係、過去の経緯といった感情の問題を含んでいることが少なくございません。当事者の間で直接に議論をいたしますと、これらが混在して、収拾がつかなくなります。代理人が介在し、事実の問題と評価の問題とを分けて整理することによって、解決の見通しが立つ場合がございます。
第12節 相続人が複数いる場合の進め方
請求権は相続分に応じて分割されます
被相続人の生前にされた出金に係る請求権は、相続の開始と同時に、各相続人がその相続分に応じて分割して承継するものと解されております。したがいまして、相続人が複数おられる場合には、各自が自己の相続分に相当する部分についてのみ請求をすることができるにとどまります。
共同して手続を進めることの利点
資料の収集に要する費用及び労力は、対象となる金融機関及び医療機関の数に応じて増加いたします。同じ立場にある相続人が複数おられる場合には、共同して手続を進めることによって、これらを分担することができます。また、請求の額が大きくなりますので、相手方に対する働きかけとしても実効性が増します。
利益が相反する場合には別々の代理人によります
もっとも、相続人の間で主張が一致しない場合、又は将来において利益が相反するおそれがある場合には、同一の弁護士が複数の相続人を代理することはできません。着手の前に、各相続人の立場及び意向を確認しておく必要がございます。
よくあるご質問
まだ父は存命でございますが、今から何かできますか
財産の管理の方法を透明なものに改めること、財産の目録を作成すること、必要に応じて後見又は信託の制度を検討することが考えられます。既に一部の親族による管理に疑いがある場合には、法定後見の申立てが、それ以上の流出を防ぐ方法となり得ます。
他の相続人の同意がなくても取引の履歴を取得できますか
できるものと解されております。共同相続人の一人が単独で開示を求めることができます。相続人であることを証する資料を添えて請求いたします。
どの程度さかのぼって取引の履歴を取得すべきでしょうか
金融機関が保存している限りの全期間について求めることが穏当でございます。保存の期間を経過した部分は復元することができませんので、範囲を限定することによって得られる利益は多くございません。
相手方に知られずに調査することはできますか
金融機関及び医療機関に対する開示の請求は、通常、相手方に通知されるものではございません。もっとも、相手方が同居の親族である場合には、郵便物等によって察知されることがございますので、送付先の指定について配慮を要します。
費用はどの程度かかりますか
調査すべき範囲、対象となる金融機関及び医療機関の数によって異なります。弁護士費用につきましては、当ウェブサイトの弁護士費用一覧のページをご覧ください。
本記事の根拠条文
民法
- 第643条(委任)
- 第645条(受任者による報告)
- 第646条(受任者による受取物の引渡し等)
- 第838条以下(後見)
- 第876条以下(保佐及び補助)
- 第903条第1項(特別受益者の相続分)
- 第906条の2(遺産の分割前に遺産に属する財産が処分された場合の遺産の範囲)
弁護士法 第23条の2(報告の請求)
任意後見契約に関する法律(任意後見の制度)
信託法(信託の制度)
弁護士法人M&A総合法律事務所へのご相談
弁護士法人M&A総合法律事務所では、被相続人の財産の管理に疑いがある事案につきまして、生前の段階における財産の管理の設計から、相続が開始した後の資料の収集、相手方に対する請求、遺産分割の調停及び民事訴訟の遂行までをお引き受けしております。
- 電話番号 03-6435-8418
- 受付時間 8時00分から21時00分まで
- 土曜日・日曜日・祝日も受付いたします
- ご相談は事前予約制です
弁護士費用については、当ウェブサイトの弁護士費用一覧のページをご覧ください。
ご相談の際に、被相続人の預貯金の通帳、取引の履歴、被相続人の診療録又は介護に関する資料、不動産の登記事項証明書、戸籍謄本等をご用意いただけますと検討が早く進みます。なお、税務上の取扱いについては税理士にご確認ください。
本記事は一般的な制度の説明でございまして、個別の事案における結論を保証するものではございません。具体的な対応につきましては、事案の内容に即して弁護士にご相談ください。
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