「20億円の遺産放棄にみる相続判断の実務 ― 「相続すれば損をする」不動産・非上場株式の納税リスク ―

2024年12月に急逝した女優・中山美穂氏の遺産に関して、2026年4月、パリに在住する長男が家庭裁判所において相続放棄の手続きを行ったというニュースが報じられました。
報道によれば、遺産総額は約20億円規模とされています。 多額の遺産を取得できるにもかかわらず、なぜ相続放棄を選択するのか。この点に疑問を持つ方も少なくありません。
しかし、実務においては、不動産や著作権といった流動性の低い資産が中心となる場合、相続が必ずしも経済的利益に直結するとは限りません。
本件は著名人の事例ではありますが、同様の問題は中小企業経営者や不動産所有者の相続においても日常的に生じています。
本稿では、この事例を題材に、国際相続における不動産のリスクに加え、実務上より深刻となり得る非上場株式の問題、さらに相続放棄をめぐる法的論点について整理いたします。
海外在住者にも及ぶ相続税課税の構造
海外に長期間居住している相続人の中には、「日本に居住していない以上、日本の相続税は課されない」と理解しているケースが見受けられます。しかし、この理解は正確ではありません。
相続税の納税義務の範囲は、原則として被相続人の居住関係を基準として判断されます。被相続人が日本国内に居住していた場合には、相続人が海外に居住していたとしても、日本の相続税法上は無制限納税義務者に該当し、全世界の財産に対して課税がなされることになります。
その結果、海外在住者であっても、日本国内の不動産のみならず、国外資産を含めて最大税率55パーセントの相続税が課され得ます。また、居住国においても相続税又は類似の課税が行われる場合には、二重課税の問題が生じることになります。
不動産相続における資金ショートの現実
相続財産の中に高額な不動産が含まれる場合、相続人が直面する最大の問題は、資産の流動性です。
相続税は、原則として相続開始を知った日の翌日から10か月以内に現金で納付する必要があります。そのため、評価額の高い不動産を取得した場合であっても、手元に十分な現預金がなければ、納税資金を別途調達しなければなりません。
海外在住者にとっては、日本国内の不動産の管理や売却手続も大きな負担となります。
結果として、不動産を相続したにもかかわらず、自己資金の持ち出しや不利な条件での売却を余儀なくされる可能性があり、相続放棄が合理的な選択となる場合があります。
不動産以上に処理が困難な「非上場株式」
本件では不動産や著作権が主な財産と報じられていますが、実務上はこれらと並んで、あるいはそれ以上に問題となるのが非上場株式です。
非上場株式は、市場が存在しないため第三者への売却が困難であり、その価値の実現が極めて難しいという特性を有します。
他方で、相続税評価においては、類似業種比準価額や純資産価額などに基づき高額に評価される場合が少なくありません。
その結果、経営権を有しない相続人が非上場株式を取得した場合、配当や経営参加といった実益を享受できないにもかかわらず、多額の相続税のみを負担する状況に置かれることがあります。
実務上は、少数株主として非上場株式を相続した結果、会社からの配当も期待できず、株式の買取にも応じてもらえないまま、相続税のみを負担する状態となり、親族間紛争や株式買取請求に発展するケースも見受けられます。
このように、不動産や非上場株式といった流動性の低い資産が遺産の大半を占める場合には、「資産はあるが現金がない」という構造が生じ、相続放棄という選択が現実的なものとなります。
「単純承認」と評価される行為の範囲
相続放棄を検討するにあたり、実務上特に問題となるのが、民法第921条に定める法定単純承認です。
同条は、相続人が相続財産の全部又は一部を処分した場合には、単純承認をしたものとみなす旨を規定しています。
単純承認が成立した場合には、その後に相続放棄を行うことはできません。
この点については、裁判実務においても、当該行為が保存行為にとどまるか、処分行為に該当するかが争点となることが多く、
形式的な遺品整理であっても、経済的価値を有する財産の処分が含まれる場合には単純承認と評価される余地があります。
例えば、不動産の現状変更や動産の売却、価値のある遺品の取得等は、処分行為と評価される可能性があります。海外在住者が日本国内の業者に遺品処分を一括依頼した場合にも、その内容によっては単純承認と評価される可能性があります。
熟慮期間と海外在住者に特有の制約
相続放棄は、原則として「自己のために相続の開始があったことを知った時から3か月以内」に行う必要があります。
しかし、海外在住者の場合には、在留証明書の取得・署名証明書の作成・書類の国際送付といった手続が必要となり、短期間での対応が困難となることがあります。
そのため、実務上は家庭裁判所に対して熟慮期間の伸長の申立てを行い、財産調査や検討期間を確保する対応が取られることがあります。
相続放棄がもたらす相続関係の変動
相続放棄がなされた場合、その相続人は初めから相続人でなかったものとみなされ、相続権は次順位の相続人へ移転します。 その結果、子が放棄した場合には直系尊属へ 直系尊属が不存在の場合には兄弟姉妹へと相続順位が移行することになります。
このような構造により、不動産や非上場株式といった処理困難な資産が、他の親族へ移転し、新たな紛争の契機となる場合があります。
実務上の判断基準
相続においては、「財産があるか」ではなく、「その財産を適切に処理できるか」という観点が重要となります。
特に以下のような場合には、相続放棄を含めた判断を早期に検討する必要があります。
- 納税資金の確保が困難な場合
- 資産の換価可能性が低い場合
- 海外在住により管理が現実的でない場合
他方で、収益性のある資産が存在する場合や、売却による資金回収が見込まれる場合には、安易な放棄は慎重に検討する必要があります。
■まとめ
不動産や非上場株式を含む相続においては、形式上は多額の資産を承継する場面であっても、実際には現金化が困難である一方、相続税負担のみが先行する構造となることがあります。
このような場合においては、相続財産の内容を確認するだけでは足りず、
- 相続放棄の可否
- 単純承認に該当する行為の有無
- 不動産や株式に関する処分行為の法的評価
といった点を踏まえ、初動段階で対応方針を確定させる必要があります。
特に、遺品整理、不動産の処分、名義変更等の行為は、その内容によっては単純承認と評価され、相続放棄が認められなくなる可能性があります。
その結果として、本来回避し得た相続税負担や資産管理負担を引き受けることとなります。
これらの判断は、税務上の検討のみでは完結せず、相続放棄の有効性や将来的な紛争対応を含めた法的判断を要するものです。
したがって、相続手続に着手する前の段階において、弁護士による具体的な事案検討を行い、許容される行為と避けるべき行為を峻別した上で対応を進めることが求められます。
当事務所では、不動産および非上場株式を含む相続案件について、相続放棄の可否判断からその後の紛争対応まで一貫した法的助言を行っています。
相続財産の内容を確認し、具体的な対応に着手する前の段階で、対応方針を整理することが重要となります。

